「上を向いて歩こう」
上を向いて空を見てしまうと、涙がこぼれやすくなるのです。私の場合。
上を向いて空を見てしまうと、涙がこぼれやすくなるのです。私の場合。
ケース1:
「宇宙に憧れ、そこへ行き飛ぶ事の代償行為としてロケットの打ち上げを見に行く」
ケース2:
「空に憧れ、そこへ行き飛ぶ事の代償行為として雲を見る」
一方が友人の話、もう一方は私の話。
朝から晩まで反省の日でした。(20040911)
朝早すぎるのは考えものですなー。
ログを振り返りつつ、事実を確認して、問題点を明らかにして。
考えることはいいことです。つかれることもありますが。
私めは比較的人から愛されているようなのですが、人を愛するのはいまいちなようなのです。
まぁ、いずれも根拠は無いのですけれども。
さて、どうしたものでしょうね。
いやまぁ、そもそも前向きってなんだって話もあるわけですが。
自分の生き方が器用なんだか不器用なんだかよくわからなくなる今日この頃。
不器用なんだろうと思いつつも、十分すぎるぐらい器用なんでないかとも思ってみたり。
こういうことを考えてしまう時の共通事項というのがなんだかあるような気がするのだけれど、いまだによく分からず。
書き留めておいたところでわからんような気もするけど、何かの足しになるのだろうか。
そもそもいつ頃から後ろ向きだったのかなぁ。
もう少しだけ脳天気に生きられればと、ふと、思った。
そうは言っても、見ていて腹の立つ脳天気加減と言うのも厳然と存在するわけで、そうはなりたくないとも思う自分もいる。(*1)
やれやれ。
義務としてそうであるものも、自分でそうであると思うものも為すべきことを為していれば、そのことが何かの時にきっと貴方(達)を守ってくれます。
それは、嫌な思いや後悔をせずに(あるいはさせずに)済むというかたちであらわれるかもしれませんし、あるいは、機会を正しく生かせるというかたちであらわれるのかもしれません。
為すべきことを為していなくとも、悪い結果にならないこともありますし、結果をだけ見た他者が認めてくれることもあります。だから堕落するのは容易なことであると言うこともできます。
為すべきことを為していても、悪い結果になることもありますし、結果だけを見た他者が認めてくれないこともあります。しかし逆に言えば、結果からも他者からも見放された時に、自分を守れるのは自分と自分の過去だけであると言うこともできます。
忘れてた。
思い出した。
そりゃぁ、報われもしないし幸せにもなれんわ。
なんで忘れてたのかな。
夢でも見てたのかなぁ。